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諸君がYOSHIMASAの未来を創る

必要なのは、全員の心のつながりである。今、我々はその歴史の中で最大の好機にある。その理由は、10年前、まだ数人であり、杉並区の一間のアパートにいた頃のことに遡る。オイルショック直後の未曾有の不況の中で、ソフトウェア会社の前途を思い、唇をかんでいた。しかし、それでも妥協を許さない闘いをして、力を合わせ、未だ目標には達していないものの、数々の想いを胸に秘めてきた。
我々はまだ社員が7名の頃から2つの絶対的価値観を持っていた。第1に、ソフトウェア技術者の社会的地位の向上であり、第2に、そのために妥協を許さず真のソフトウェア会社となるべく、絶対的な力を持つ事であった。その価値観は我々の経営理念であり、最も重大なことであった。
しかし、現実にはどうであったか。完膚なきまで打ちのめされ、絶望に目を閉じたことが幾度となくあった。なぜ、こういうことをして、どうしてこういうしなければならないのか。何度も無理をしてきた。引くには引けなかったのだが、創業時の数年はそのようなものだった。人・金・物のあらゆる欠乏の中で、やれる範囲でやるよりなかったのだ。素早い増員、組織の拡大、等々。うまく行くと目を見張る成果があるが、ある程度の覚悟が必要であったその中でなんとか増員し、利益を上げることができるようになった。
だが、それは良かった、で済むはずのものではなかった。人材派遣であるとか、或いは受託の中に、その為の教育の中に様々なことがあり、結果としては次につなげることができたのだが、その連続のなかで、いつまで続けねばならないか。この先には何があるのか、と考えさせられた。具体的な未来像はなかったが、あると思いたかった。当時、既に日本で何位という利益を上げていたものの、あの中では次の期待は生まれてこなかったのだ。
しばらくすると、事態は好転していた。我々の土地、株式等が値上がりし始めたのである。日本が大インフレであり、それが今後も続くと思っていたため、目減りするものではなく、確実なものに換えておいたからだ。この国ではこういったことがわからないと、何もできない。そこから思いもよらない状態へと変わっていった。思いがけない資産を持つ会社になったのである。そして、その力を様々な事業に向け始めた。それまでは思っていてもできなかったことを、実現できるようになったのだ。それらが増殖し、余裕が余裕を生み、拍車をかけるに至った。ここに吉正は創業時の状態とはかけ離れてしまい、昔を忘れてしまった。そして誰もが普通にそこまでしなくても、と考え、個人の幸せを夢見るようになってしまっていたのである。今、我々はソフトウェアの妥協のない闘いを忘れかけているが、このままでは済ませたくない。人・金・物全てをソフトウェアの闘いに賭ける用意をしているが、その目標を達成できるかどうかは、その心のつながりにかかっている。当初の目標どおりに決着をつけるときが来たのだ。
幸せは仕事の中にあり、その闘いの中にある。そこにはどん底があり、喜びがある。しかし、そのときの諸君はグループ企業の社長たちであり、重役たちである。10年前の吉正電子は小さく、貧しい会社であったが、比較になるだろうか。何のための苦労であり、何のための今までだったのか。59年の年頭に「理想的なソフトウェア会社を目指すには」という広報を書いたがそれをここでリフレインしたい――。ソフトウェア会社のイメージがいいとか悪いとかは考えないこととする。私はこの業界がいやになったこともあるし、すごく好きだったこともある。今は好き嫌いではないが、他の業界では考えられないばかりか、もう一度人生をやり直すとしてもソフトウェア会社を選ぶのは当然と思っている。今、やり直すとしてもソフトウェア会社だろうから、これしかないのかもしれない。コンピュータは好きであるし、コンピュータはソフトウェア次第であると思っているし、ソフトウェアは世界を制すという言葉を信じているのかもしれない……。ソフトウェア会社には東京海上のような有名優良企業はないが、それがためにどちらも自由に入れる人間が、ソフトウェア会社に入社するのは勇気が要ったのではないか。これはその会社の位置環境が新しく、確立されていない場合、どこでもそうであるがひとつソフトウェア業界で、ひとつ私企業の範囲を越えてそういった会社を目指す企業があってもいいのではないか。本当に好きなこの仕事のプライドをもう一つ余分に持てるように。
君たちと出会った時がそうであったように、初めはいつも「一緒にやろう」という感じである。何かやりたい事とか、自分の得意なものを持ち寄って人が集まった。そして一緒にやっていくうちに、協力してそれを実現したり、クリエイトしていく事の楽しさが、各々の中で大切なものとなり、それが各々の結びつきを固いものにしてきた。
2人で或いはそれ以上で、色々な問題に直面して、信頼が厚くなっていくのが好ましかった。力を合わせると、そこには信頼関係が生まれる。それは幸せな関係であり、大切な喜びであった。しかし自由に出来る環境がはじめから備わっていたわけではないから、吉正で、そういうものを創っていこうとしてきたのだ。金や力では人は得られないし、それは、組織の必要とするところでもない。
人と一緒にやっていく時に、人との出会いに、そんな次元では理想的な関係にはなり得ないからである。何も自画自賛するためではない。最近、グループの多角化がかなりのスピードで進んでおり、多くの人材が集まってきている。大変嬉しい事なのだが、それが無理な拡大だと誤解されたり、どうしたのかと心配される事のないよう説明しておきたかったのである。人と心のつながりを大切にしたい。夢を持って、大切なものを温めながら生きていきたいのだ。結果、多くの人と仕事ができ、力を無駄なく発揮して、更に、それを数倍とするような、組織編成が必要となった。そして、より多くの専門家と人的パワーが必要になった。多くの夢と多くの夢と多くの個性――様々な仕事をこなすためには、そのための協力関係が要求され、それが組織という名のものであった。
人との協力は素晴らしい事であるが、難しい問題も出てくる。しかし、それを処理しないと、大きな事はできないからこそ、あえて直面していくのである。たとえば、ある仕事を実現するには、他の仕事の実現が必要なことがある。人を活かすのに、人の協力が必要になるとか。ひとつの事を進めていく中で、次々と別の事が出てくる。そしてその方がたいへんであることを発見することがよくある。組織は色々な力を必要としているがその制御が重要である。しかし、そういう事態は喜ぶべきなのかもしれない。それは組織にとって、より社会的な力を持つ事を意味するからだ。
それまで個だったところから、複数を意識することに始まり、役割分担と協力、専門家に対する信頼の中で、やりたい事をやってみたい以上の大切なもの――人との協力、一丸となることの楽しさ――吉正の未来をみんなで創っていこう、という事なのである。 

(87年6月号)

代表取締役社長 櫻井正次


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