目の進み具合で勝っているほうは無用なヒットを避けてランニングゲームを目指し、負けているほうはそれを避けなければ負ける。これがバックギャモンである。初心者同士の対戦があっけなく終わってしまうのは、負けている方がそれなりの戦略をとらないからだ。
サイコロの目は浮気だが、実力の差は出る。ひとつの方針だけで突き進むのではなく、情勢判断が要求されるところに、このゲームのおもしろさがある。
経営もまた然り。会社が違えば採りうる手段は違ってくる。ユーザー系ソフトウェア会社に見られるように、社員がプログラマ−中心だとすると、その経営は生産性に重点が置
かれる。親会社からの仕事ばかりの子会社であれば、営業は要らず、技術力アップと生産性向上が第一とされる。また、仕事量がこなしきれない時には大量採用によって、会社の発展とは無縁の人員増強が行われる。
独立系会社では営業体制と技術力のバランスが大切である。営業力が不足すると仕事が減少し、生産性の悪化を招き、技術力の不足は生産性の悪化と共に信用を落とす。また、ユーザーごとに要求技術が異なるためにプログラマー、システムエンジニア共に複雑になってくる。ここがユーザー系ソフトウェア会社と根本的に違うところである。吉正も子会社、関連会社を持っているが、一般市場の中でやっていく以上、独立していると考える。ただし、親会社があるので独立独歩ではない。何らかの都合で別会社化されているだけで、それらを同一視はできないのである。
以後「ソフトウェア会社」とは、マネージメントの点で競争社会の中で生きている会社を指すものとし、いわゆる子会社は含めない。そこで独立系ソフトウェア会社の経営には、
更にマーケティングが必要となる。バックギャモンで言えば、サイコロを振るだけでなく、どんな基本戦略を選ぶかと言う判断が要求されるわけである。情勢を見て経営方針を決めること――それがマーケティングなのだ。
理想のソフトウェア会社とはどのようなものか。少なくとも前述の2つのようなものではない。会社の持つ技術にお客が殺到し、供給が追いつかない会社――そういったところ
には高付加価値が存在する。時代のニーズを先取りして、次々と新しい技術を提供していく主体性が必要なのである。仕事をください、何でもやります、安くできます、といった
ことではいけない。
ソフトウェアを商品としたり、その作成技術を仕事と考える技術者は多い。確かに今までのソフトウェア会社にはそれしかなかった。そのことがソフトウェア技術者をして社会
的地位の低い専門職とし、技術の質よりも生産性を問われる状況を招き、ソフトウェア技術者の35才定年説もそうした中で叫ばれた。ソフトウェア会社の社会的信用は技術者の社会的地位に比例していたのだ。その中でソフトウェア会社が生き残るために質より量を求めたのは無理からぬことではあったのだが、それでは根本的な解決にはなっていない。そこが、同じソフトウェア会社として吉正は心配なのである。
ソフトウェアは特殊なサービスであるが、ソフトウェアを含んだ商品をもターゲットとするならば、ソフトウェアを社会的により一般的なものとすることも可能であろう。ソフトウェア技術者の社会的地位の向上とはソフトウェア技術者の質の向上であり、社会に対する役割とその影響の質と量との問題ではなかろうか。同様に、ソフトウェア会社におい
てもそこから導き出すものの質と量が問題であって、そのものの専門性だけではないはずだ。
吉正グループも、ソフトウェア会社が中心的親会社になり、社会に影響力を持ち、世の中のために全力を尽くしていく。それが真のソフトウェア会社として採るべき道であると信じているのである。
代表取締役 櫻井正次
(87年4月号より)