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諸君がYOSHIMASAの未来を創る

もはやソフトウェア業界は黄金時代ではない。ユーザーの期待と仕事量はあるのだが、各社の予算の関係で受注に結びつかない。この業界には小企業が多いこともあって倒産、廃業が相次いでいる。技術料金をダンピングしたり、赤字受注をしてまで技術者と設備を遊ばせまいと懸命だが、既に事態は泥沼化している。
もうひとつ、1次請け、2次請け等の仕組みも影響している。そこにあるのは古い慣習であり、ソフトウェア会社間の格差を生み出す原因になっているのである。つまり、一部の大手のみが好調で他は低迷している。このような状況で高度情報化社会を築いていけるのだろうか。根本的に見落とされているものがあるのではないか。
先日街で若い女性の言葉を聞いた「カワイイー」というのである。母親に抱かれた赤ん坊を見てである。軽い科白だが、どんなに詳しく説明しても結局はカワイイのだから正しいとも言える。深い理解が必要な点でコンピュータ言語と似ている。解りにくいのである。
また、言葉では簡単に表せないものがある。「ポスト」や「電信柱」であればひと言であるが「春」とか「愛」となるとその言葉を使わずに正確に伝えるのは困難である。それらはコボル、フォートラン等の高級言語であり、「ポスト」はアセンブリ言語のような低級言語である。人間の言葉に近い方を高級と言っているに過ぎないが、人間とコンピュータのコミュニケーションには、他に像としてのアナログデータをコンピュータによってデジタル化する画像処理や音声処理がある。パターン認識技術に限りなく近づいていき、そこには辞書のような知識もバックグラウンドとして欠かせない。
マンマシンインターフェイスはヒューマンな問題である。たとえば、タクシーに乗って「八重洲」と言う。あとは黙っていても駅に着く。運転手に東京駅への道順を尋ねれば説明してくれるだろう。そういった知識や認識があって初めて暗黙の了解というものが成立する。沈黙は理知的、貴族的だが、そのためには求められれば的確な説明のできる能力を必要とする。頼む方も運転手もそのあたりがわかっていないと、うまくいかないだろう。「八重洲」も「カワイイー」もカルチャー−情報そのものである。こういったカルチャーは質も量も重要で、それなくしてギャップは埋められない。
ソフトウェア会社は弱肉強食の中でデータとソフトウェアの剥奪戦を演じている。しかし、業界内の淘汰などやっていてよいのだようか。高度情報化社会に備えて為すべきことをしていると言えるだろうか。−どこかでOSを開発すると真似をする。ワープロ、ゲームソフト、名簿データ等も同じものばかり。大きな会社が小さな会社を相手にシェアや生産性を競い、金と力で仕事を奪っている。そんな中で真の情報化が進むとは思えない。
ゲームソフト、ワープロソフトの類については専門会社が存在している。中小商店向けオフコンパッケージは充実しているが、それ以上となると対応が遅れている。それも理論設計とモジュール(たとえば通信制御)のように両端が弱い。個々のコンピュータサイドでも基本的なオプションで組めるシステムともなるとスタンドアローン業務までだ。OS、ユーティリティまでを含めたシステム開発は一般的ではないからである。オプションの充実が急務である。情報システムをトータルに考えると、ソフトウェア会社は不足している部分をお互いに補足しあうような事業展開が必要であろう。
吉正は真のソフトウェアハウスとして、大規模システムの企画力・設計力と通信・OS等の専門技術を生かして、中小ソフトウェア会社、データ処理会社と協力し、高度情報化社会の実現に寄与したいと考えるのである。

代表取締役 櫻井正次

(87年3月号より)


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