諸君がYOSHIMASAの未来を創る |
ふた昔くらい前は「上等舶来」が常識で、さらにそれ以前は「メイド・イン・ジャパン」は粗悪品の代名詞とささやかれていたのだから日本は驚異的な発展を遂げたことになる。
だが、それでも「どうしても外国製」と主張したくなるものがある。たとえば靴、たとえば家具。目立たず、生活の表面に出てこないものは外国製品に魅力をおぼえる。
それはどうしてだろう。生活史のちがい、生活における層の厚さのちがい…。理由はいくつか考えられるが、ひとつ言えるのは「技術を競うようには感性を競うことはできない」という事である。だから、絶対にコピーできないものもある……。「日本人は発明は不得意だが、コピーはどの国民よりも優れている」と皮肉まじりに言われる。これも同じで、何かを作り出すことは夢、遊びであり、その家庭は現実直視の人は一笑に付してしまうかもしれない。それを乗り越えるために意識的な連帯が必要なのだが、その連帯を築くコニュニケーションについてはさらに悲観的になってしまう。
情報化が進む中で、人とのコニュニケーションは一層重要になっているが、これも理屈ではなく感性の部分であろう。現実に人と会う時間が減ってきているのが問題なのである。
体調を整えるために時々食事を控えたり、アルコールを断ったりする事も影響しているのだが、元来飲んだり食べたりといった事は必要最低限の時間で済ませる主義なのである。
しかし、仕事となると迷惑なことをしてきたようだ。のってくると中断できず、食事をしながら続けるもので、接待とは全く反対のことをしているようだ。
でなければ7時くらいに会社を出る。そうしたときに週に1〜2度『クィ−ンズ』へ行くのを除けば、あらたまって人と会う時間はほとんどなかったのである。あの店には気軽に立ち寄っている。ふらりと寄ってビリヤードを楽しんだり、仲間と軽い会話を交したりすればいいからである。そういった意味ではあの店には同じような人が多い。同じ心境なのだろう。そんな生活とあの店は同じような暗さを持っている。自己と妥協のない闘いをする。大都会のそれはつらい出来事であり、決して明るくはない。奇異に映るだろうが、いわゆる社交好きではないのかもしれない。
「1999」を知ったのは4年前である。昔の貴族の洋館そのままの店で、そこの会員となってビリヤードを始めた。車で行くためアルコールは飲まなくなった。気に入った店での生活がしばらく続くと思っていたが3年しか続かなかった。店が変わってしまったからだ。
そして『クィ−ンズ』の必要性が生まれた。それを吉正グループで実現したのは、それなりの理由がある。グループの多角化とソフトウェア事業部のグループ内におけるシンクタンク化が明確となったからである。
やはり、絶対にコピーできないものがある。吉正の目指すのもそこである。それが意識や感性に関わるかどうかはともかく、技術や理屈では説明できない差異が存在している。他にも『クィ−ンズ』のような場所をつくってみたい。いつかはそういう店ができるだろうが、そこができるとすれば我々しかないような気がするからである。吉正グループの優秀なスタッフとノウハウがあれば可能であり、そんなことはわかっている諸君と共に…。
代表取締役 櫻井正次
(87年2月号より)