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諸君がYOSHIMASAの未来を創る

淘汰の時代が来た。
つまり、質を問われる時代が来たのであり、量に頼ることが難しくなってきたのだ。
質の向上が、その不急性から無視されてきた。これは当然の結果である。

ソフトウェア会社のその間の競争は激化しているだろうか。円高不況により、フレーム・メーカの収益は悪化して、その影響が各社に出始めている。技術料の据え置き ― 予算と経費の削減 ― により、下請け会社の経営が苦しくなっている。何も予想できなかったことではない。ビジネスは需要・供給のバランスであり、需要減がもたらした当然の結果である。
この8年間、49年から53年のオイルショック以降、順調な経済発展と社会的需要の増大の中で、ソフトウェア業界では単なる量的拡大が会社の発展に結びついてきた。ところが一転して需要減である。そのために今までのツケが回ってきたのだ。つまり、質を問われる時代が来たのであり、量に頼ることが難しくなってきたのである。質の向上が、その不急性から無視されていることに問題があったのだ。それはソフトウェア会社の発展が社会的需要によるもので、自らの力によるものではなかったのである。
ソフトウェア業界の将来を見通すにあたって、興味深い先例がある。日本の基幹産業をもって任じてきた“鉄”である。確かに日本の鉄は世界最高品質を誇り、その生産性も非常に高いが、現在、供給過多による不況の波に洗われている。ロボット化された生産設備の下で、良質の製品を大量生産しくても、需要がない。最大の問題は生産調整ができなくなってきている点である。人は減らせないし、設備も止められない。中途半端な操業はコスト高を招く悪循環。工場の閉鎖は経営的効果はあっても、大きな社会問題に発展することになる。しかし、やがては必然的に淘汰の道を歩むことになるだろう。問題は不況になる前に、次に備えることができればいいのだが...。
さて、ひるがえってソフトウェア業界である。量の拡大―質の低下―需要減―淘汰。この図式は、現在のソフトウェア業界に見事に当てはまる。量の拡大―質の向上―供給過剰―淘汰。これは鉄鋼業界を例とした図式だ。淘汰は起こる。必然的に起こる。しかし、淘汰は向上を生み、新しい時代を創る。原始時代の恐竜の滅亡が、柔軟な状況対応力を有する次世代の新しい生物を生み出したように...。それは、我々にとって、願ってもいないチャンスなのだ。
しかし、である。ソフトウェア会社のその間の競争は激化しているだろうか。
多くのソフトウェア会社があるが、最近はユーザ系が多い。子会社、系列会社として親会社の仕事を主にやっている。自給自足となると、今に独立系ソフトウェアハウスには仕事が来なくなるかもしれない、といった声を聞くが、果たしてそうだろうか。
ユーザ系が多いのには理由がある。というより、独立系そのものが増えていないのである。特に派遣法により、二重派遣に類することの禁止から、会社の卵から雛にかけての時期に従来の事業方針がとれなくなった。また、技術的ニーズの変化というトレンドの中で、もはやゼロからソフトウェア会社をつくることが難しくなったのである。
ユーザー系が設立が容易なのは、計算機室をそのまま株式会社化するからだ。ユーザー系は、COBOL、BASIC等の高級言語を用いるアプリケーションの分野では、その力を充分に発揮する。現実に、新人ばかりの会社かどうかなど関係無く、優秀な学生ばかりを採っていけば、そのような分野には強くなる。しかし、実態としては、1度買ったら4年は買い換えないコンピュータ。そのテクノロジー―通信、OS、アセンブラ、ニューメディア、LAN、VAN等―広範囲なコンサルテーションと専門特化の点で、ユーザー系は本来、独立系ソフトウェア会社とは全く異質なものなのだ。現に、最新技術と専門特化した技術力を有するソフトウェア会社とか、共存の関係である。
ユーザ系ソフトウェア会社の増大は、ある分野におけるソフトウェア会社―独立系―の需要の増大につながるのである。ユーザー系は、ユーザがそれぞれに設立でき、その仕事の大部分が内部的なものである。そこには新しい需要は存在しない。イージーなソフトウェアの需要が減り、ユーザ系の自給体制がそれに拍車をかける今、ユーザー系ソフトウェア会社をユーザにする本格的ソフトウェア会社への指向理由がここにある。

代表取締役 櫻井正次

86年10月号より)


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