国内に3千社とも4千社とも言われるソフトウェア会社群。その多くはソフトウェアの持つ真の可能性に気付いておらず、商売の手段としてしか考えていない。人材派遣、技術の安売りに終始している。そこでは熟練し、必要経費のかさむ技術者は煙たい存在となる。一方、技術者自身も、30歳を過ぎても連日の残業と徹夜に体力の限界を感じて辞める。すると、経営者は若い人材を大量に採用し、安く使う。この繰り返しである。
吉正は創立以来「技術者による技術者のための真のソフトウェアハウス」を標榜すると同時に、「ソフトウェア技術者の社会的地位の向上」を目指してきた。ソフトウェアには将来の産業構造を一変させるほどのパワーがあり、可能性がある。にも拘らず、技術者の社会的地位は低い。
ソフトウェア技術者は本来、専門職であり、弁護士、公認会計士に比肩しうるものであると考える。それが、ソフトウェア「業界」という大見出しで十把ひとからげにされているのは何故か。人材の質を無視した「ソフトウェア工場化」が起因しているといえる。生産性重視の技術力のみでは、現状を変えることはできない。社会の申請と信頼に応えるだけのものが必要なのだ。
ソフトウェア技術は前提であり、手段である。たとえば、さまざまな事業体の経営を技術者が行っていく。システムハウスであると同時に「シンクタンク」として。吉正グループを構成する関連会社は、レストラン、アパレル、損保から音楽出版まで、その数、すでに十指に余る。海外へも足掛かりを築きつつある。これらは、単なるソフトウェア会社の多角化戦略ではなく、それは技術者による企業化戦略なのだ。その下で育った起業家たちはひとりひとりが企業経営の手腕と経験を得て、社会を相手に闘いはじめる。
コンピュータがいつまでも誰かの利益のための道具であってはならない。世の人々は、もっと効果的なコンピュータ利用による恩恵を受ける権利がある。その目的を達成するには、技術のみを売り物にして、言葉だけで訴えていても届かない。だから吉正は社会を動かしていく「力」が欲しいのだ。より以上の資本、人材、技術が欲しい。その3拍子が揃わなければ、本当の勝負に出ることができないのだ。他に頼ることができないのなら、自分たちでやるしかない。
吉正の目的は、高度情報化社会のための「真のソフトウェア」ハウス戦略――資本、人材組織、技術の蓄積――に向けられている。そこで得られたものが、純粋ソフトウェアハウスとしての吉正に欠けているものを補ってくれるはずである。そうでなければ、本当にやりたいことができないからである。採用と教育、マーケティング、組織の訓練。各分野において、人材不足が行く手を遮っている。
ソフトウェアこそが最も重要であり、その専門家であることはどの産業よりも理論的に有利である。コンピュータは必需品であり、この最大の武器とその技術なくして、次代を担っていくことはできないのだ。
しかし、ソフトウェア産業の力はまだ弱い。情報化は未だコンピュータメーカ−主導の下で行われているし、ユーザーからの注文次第という点で、主体性を確立していない。ソフトウェア主導型社会の確立ために、本当にやりたいことをやるために、力をつける必要があったのである。そのために異業種へも進出することになった。
だから若い力を結集したい。自分の持てる力を、技術を、コンピュータのためではなく、人のために、社会のために役立てたいからである。